平戸家 広田城副将
佐志方善芳
さしかたぜんぽう
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佐志方氏は古くより針尾島の北部を支配していた一族で南部を支配していた針尾氏とたびたび争いを起していた。2度ほど針尾氏によって島を追い出されるが、善芳の代には平戸松浦氏に属し、再び針尾島での領地を確保している。
その名は印山記にて広田城の戦いで登場する。広田城主である佐々可雲に次ぐ地位にあったようで副将といっていいかもしれない。広田城の篭城戦で見事勝利した善芳等は鎮信の命により彼杵攻めを決行する。しかし大村與市等の反撃に合い追い詰められ金重島に上陸し善芳は主従と2人で洞窟に身を隠した。城主佐々可雲はもはやこれまでと自害してしまう。その首を手に入れた大村軍は意気揚々と帰途につくと思えたが、善芳の息子である佐志方庄兵衛が海上で待受け攻撃をしかけ痛手を負わせた。1日がたち善芳はようやく漁師の船に隠れ乗り帰路につくことができたという。
中世の針尾島は南に大村氏、北に松浦氏との間に挟まれた地であり、領土拡大をめざす両氏にとって戦略上重要な場所であったことなどから佐志方氏のような小さな武士一族は戦国大名たちの勢力のバランスを利用しながら、連携相手をかえては、何とか自分たちの勢力を保とうと必死で生きていたのである。