東一族
東甚助時忠
ひがしじんすけときさだ
[???〜1574年]
筑前の千葉氏より亡命し、丹後守親によって相神浦に迎え入れられた東尚盛の子。
丹後守親の恩に報いるためか、飯盛城戦や半坂合戦での活躍で最後まで丹後守親を支え続けた。
しかし相神浦の降伏に伴い平戸から16代当主としてやって来た九郎親との確執があり、龍造寺に通じたとして誅されようとしたところ、逆に主君である九郎親を殺害しその後、自分も他の家臣に討たれ死亡した悲運な武将。
確執があったとはいえ、主君に刃を向けるなど当時では考えられないことだった。あくまで想像だが、わが身の防衛のためだけではなくこのままでは第二第三の被害者がでる、ここで終わりにするためにはとの命をかけた行為だったのかもしれない。半坂や飯盛城戦で果敢に戦った勇将である。その場の感情だけで主君に手をあげるようなことはきっとしないだろう。