志佐家13代直谷城城主
志佐 純量
しさ すみはる
[???年〜???年]
志佐家12代当主、直谷城城主の志佐純昌(しさすみまさ)の死後、子の純量(すみはる)がまだ11歳だったこともあり、領内で跡目騒動が起きるも正統に純量が城主となる。しかし重臣の多くは純昌の弟である純意の城主を望んでいたため、純量との間で確執がおき、純量は母親の実家である有馬氏へ母親と共に身を寄せることになる。
その後、有馬氏の下で鍛えられ、たくましく成長した純量は正統な城主として直谷城に返り咲くが、平戸色の強い領内とそりが合わなかったのか、純量は再び有馬へ戻り、直谷城を占拠しようと有馬から300の兵を借り直谷城を夜襲し、占領することに成功する。一時は城主の座に復帰した純量だが、すぐに純意を慕う家臣や、平戸松浦軍から攻められ直谷城を放棄し島原へ逃げ帰る途中に、世知原の笥瀬祝田原世知原修理都蔵寺式部の軍勢に攻撃され、純量はこの戦いで戦死したとも、島原に逃れるも、祖父である有馬修理大夫に叱咤され、自害したとも伝えられている。