佐々一族6代目当主 広田城主
佐々清左衛門加雲
さざせいざえもん かうん
[???〜1586]
佐々一族は1491年に起きた有馬・少弐連合軍と平戸松浦との戦い(箕坪合戦)に敵方として加担したため平戸の厳しい圧迫を受け、佐々家3代目の勝は平戸弘定の第一弟の頼(たよる)を佐々氏4代目として養子にむかえることでこの危機を脱した。このあたりから一族は平戸松浦の支配下として戦場へ駆り出されることになる。頼の子の5代目刑部少輔は平戸の隆信の時代に半坂合戦にて討死している。その子供が佐々一族6代目の佐々加雲この人である。
1586年に起きた平戸松浦と大村・波多・有馬・有田の連合軍とのでは広田城主として配属され、見事に篭城戦を制して連合軍を撃退している。しかしその後、鎮信の命で大村軍を彼杵城に攻め入るが、逆に撃退され退却し、追撃を逃れずに九十九島の金重島で自害する。
平戸の時の支配者の命令により過酷な戦場へ駆り出され犠牲者も多かった佐々一族。金重島で自害した可雲。長い逗留と戦いの末、疲れきり故郷が恋しかっただろう、もしかしたら故郷の佐々へ近いこの場所で散るは本望。と思ったのかもしれない。
  佐世保市広田1丁目
広田小学校前堂山

型:板碑